『砂漠の鳥』別館

詩やエッセイを書いています。(本館) ここ(別館)では、「時事問題」とかちょっとした「日記」をつづってみます。 ぜひコメントをくださいね。

詩について・・・

詩は陽から陽を生み出す
  陰から陰を生み出す

詩は陰から陽を生み出す
  陽から陰を生み出す

詩は無から陽を生み出す
  無から陰を生み出す

初冬に、来し一年の短きを思ひて・・・

初春の別れの水に萌え出でていつしか染みぬふるさとが山

年賀状と「あけおめメール」

『日本の伝統崩壊? 手書きの年賀状より「あけおめメール」に真心を感じる人たち』(記事 http://markezine.jp/article/detail/859

 若い人の間では、「リアルタイムで届く"あけおめメール"のほうが、何日も前に書かれたはがきの年賀状よりも心がこもっている」と思う人が多くなっており、年齢別で見ると年代が若くなるほど年賀メールが増えている。(抜粋)

 だそうです。
 そんなに「すぐ」ってことが大切ですか??

 ただ、本当は「時間」自体が問題じゃないように思う。
 携帯電話とかの発達の中で、「孤独」がどんどんつらいものになってきてしまったんじゃないかな。なにかを通じて(たとえそれが電波でも)「誰かとつながっていたい」って思ってるからじゃないかな。
 だから、年のはじめの挨拶でも、それがばっかりが大事になってる。言葉なんて、ほとんど「どうでもいい」んです。
 「あけおめ〜」って一言もらっただけでも、「つながってる!」って思えて嬉しい。
 でも、やっぱり、それじゃだめだと思うんです。

 「つながってる!」を大切にしすぎるのは、逆に「切れてしまう」ことを強く恐れることにもなるんです。
 「つながっていなきゃ!つながっていようとしなきゃ!きれちゃう!」
 本当に、周りを見ていてかわいそうだと思うんです。本を読んでいても、メールが届けばすぐに返信させられる・・・。自分のことに集中することもできず、友達!友達! それも、その友達は「幻想」の友達なんです。
 本当の友達は、離れていてもつながっていると思える友達のはずだと思うんです。
 じゃあ、何でそんなことになるのか。
 それは、「誰とでも仲良くしないといけない!」って思い込んでいるからだと思うんです。そうして、本当は仲良くなれないような人と付き合い始めるんです。お互いに理解できていないから「切れる」のをいつも恐れていないといけない。

 どうしたらいいか。ちょっとだけ「孤独」に耐えることが必要なんです。それができれば、「本当に仲良くできる人」を探すための時間が稼げる。
 それがなかなか難しいことなんですね。「孤独」を知らずに育ってくれば、携帯電話とかのせいで「孤独」を忘れてしまえば、「孤独」への耐性がなくなってしまう。
 さて、いったいどうしたものでしょうか。

久しぶりに・・・

 久しぶりに詩をup!(本家)

 たまにはupしましょうか・・・

新暦八月は「葉月」ですかな?

 新暦八月を「葉月」と呼ぶことがある。一月は「睦月」、二月は「如月」、・・・。
 私にはなんか気に食わない。というのは、やはり新暦の「八月」と旧暦の「葉月」には大きな時季のずれがあるからだ。
 旧暦の異名には、それぞれに意味がある。
 由来についてはこちらを参照
 「自然の移り変わり」や「人と自然とのかかわり」を由来とする異名が多いのだから、やはりそのまま「一月=睦月」、「二月=如月」、・・・と置き換えることには抵抗を感じずにはいられない。